story16.お盆の季節、我が家を建てた祖父に思い巡らす

お盆の季節です。皆さまもお休みを取られ、旅行や帰省などをされている方も多いと思います。私たち、例年この時期は、お坊さんを我が家の仏間におよびし、お経を読んでもらって、ご先祖様の供養をいただいています。この時期、先祖のことに思いを巡らす場合が多いので、今回、我が家を建てた祖父のことに触れてみようと思います。

祖父は、私が生まれる1年前の昭和41年に他界しました。したがって、私自身、直接話をしたことも顔を見たこともないのですが、聞いた話によると、祖父は、関西電力の前身の会社で、水力発電用のダム建設など(例えば宇治川の志津川ダム等)を統括する土木技師だったそうです。そして、志津川ダムが完成する頃の大正12年に、この家を建てたらしいです。当時は、千里丘駅という最寄り駅もなく、山や田んぼに囲まれたまさしく山田村の片田舎といったこの土地を購入し、0の状態から、家や庭にこだわりを持って建造されたのだと思います。建築家藤井厚二氏との関係は良く分かりません。出身大学は同じですが、年齢は離れていて、社会人になってからの所属機関も違いますし、専門も建築と土木ということで異なっています。誰かの紹介なのか、陶芸など趣味でのつながりだったのか、この2人の関係性については、昔の手紙や文献を紐解くなどして、今後の私自身の検討課題にしたいと思います。

ただ、現存する家や庭を見る限り、藤井厚二氏のこだわりも垣間見えつつ、祖父の土木技師としてのこだわりも見え隠れするように思います。木造住宅のレンガの基礎や、蔵における石造りの土台、庭の中で雨水を調節するコンクリート製の貯水池、以前に触れた雨庭の設計など、自然環境と共生した土木工学の知見に基づき、志津川ダムを彷彿させる様々なディテールを目にすることができます。ただ、それらが、藤井氏の設計思想なのか、祖父の想いなのか、たまたまそうなっているだけなのか、今となっては確認のしようがありません。でも、そういった歴史が詰まった家や庭であることは間違いないと思います。現代にも通ずる原点となるような土木建築、可能な限り、後世にも残していけるよう努力できればと思います。

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Katsuji